ご挨拶
作品集
環境共生建築グループ
建築家 近澤可也 KAYA CHIKASAWA
オ:面白いもの。
ハ:初めてのもの。
イ:意味のあるもの。
オ:驚きをあたえるもの。
を創りたい。
私は、面白いものを創りたい。心から喜べるものを。理屈抜きでオモシロイものを。面白いものは、それだけで存在価値がある。
初めてのものをつくる。この世に、はじめてかたちを表す者の出現に手を貸したい。初めてのものをつくることが、ほんとの創造だといえる。
意味のあることをしたい。自分にとって、意味のある提案・行為・作業・作品をつくりたい。意味を持つということは、新しい概念を持つことである。概念化――本質を表現できる言語を 創りだすことである。
驚きのあるものを創りたい。驚きをあたえたい。驚き、心がゆさぶられる。心がゆさぶられると、その時、何かが見えてくる。自分もオドロキ、他も、大いに驚かせたい。
近澤可也×NEWS
近澤可也×パンデコン経歴
1934 | 石川県金沢市白銀町に生まれる。 |
1941 | 金沢市立芳才町国民学校入学。(太平洋戦争始まる。) |
1945 | 終戦(民主教育始まる。) |
1947 | 金沢高等師範付属中学校入学。 |
1950 | 金沢高等師範付属中学校卒業。 |
1953 | 金沢大学付属高校卒業。(師弟一体の学園で友情を養う) 地方公務員として石川県庁に奉職。 |
1956 | 石川県庁総務部総務課退職。(受験のため上京) 東京大学理科一類入学。 |
1961 | 東京大学工学部建築学科卒業。 東京大学数物系大学院建築学・丹下健三研究室入学。 (丹下健三教授より都市・建築・建築家について大いなるものを学ぶ) |
1963 | 総合デザイン・パンデコン創立。(東京八重洲口に事務所をかまえる) |
1964 | 東京大学数物系大学院修士課程卒業。 |
1965 | 株式会社パンデコン設立。代表取締役に就任。(現在に至る) |
1966 | 一級建築士事務所・パンデコン建築設計研究所開設。 所長に就任。(現在に至る) |
その他の経歴・役職
1967 | 日本デザインスクール・インテリアデザイン講師。(1967~1972) |
1968 | 中小企業振興事業団専門登録指導員(1968~1974) |
1977 | オリジナルデザイン開発・株式会社「たんぽぽ工場」取締役に就任。 (至現在) |
1978 | 学校法人「金城学園」理事に就任。評議員(至現在) |
1988 | 群馬県倉渕村村おこし「花と緑の手づくり村構想」制作・発表。 相間平カルチャバレー自然農園「妙雅庵」建設。庵主。(至現在) |
1990-2000 | 駒場ロータリークラブ。 |
1993 | 「パンデコンデザインセンター」建設。東京都中野区に本社移転。 4階「パンデコン建築設計研究所」移転(至現在) |
2000 | 社会福祉法人「幸徳会」理事就任。 |
2002 | 「総合芸術文化財団」理事就任。 |
2003 | 社団法人農山漁村文化協会「食と農の応援団」団員。(至現在) 中間法人「エコパーク国際農業研修センター」代表幹事就任。(至現在) |
2004 | 大妻女子大学ライフデザイン学科「居住文化論」講師就任。 「シナリオ・センター」本科入所。 |
2008 | 「シナリオ・センター」研修科卒業。 |
2009 | 一般社団法人「ふるさと未来研究所」代表理事就任。 |
建築設計と作品
営業品目 | 建築・都市・構想・企画・計画・設計・監理 |
建築種別 | 住宅・集合住宅・コーポラティブハウス・山荘・学校・幼稚園・大学 校・店舗 商業施設・ショッピングモール・旅館・ホテル・ヤングイン・温泉施設 老人ホーム・福祉施設・牧場・ゴルフ場・村おこし |
代表作品例
演劇活動・出演歴
1994 | 「アートマンギャラリー」開設。一人芝居『アートマン氏の今がそれ』 作・主演。構成・演出:永島直樹 |
2003 | 西木正明プロデュースⅠ・東京遊人塾『アイアイの眼』 脚本・演出:永島直樹。出演/東郷平八郎連合艦隊司令長官役。 |
2004 | 東京遊人塾『私の青空』脚本・演出:永島直樹。出演/捨吉老人役。 |
2006 | 遊人塾・劇舎『あ、のんきだね』脚本・演出:永島直樹。 出演/建築家・乞食老人役。 |
2006 | 西木正明プロデュースⅡ・遊人塾・劇舎・プレイガールオフィス制作 『孫文の女』脚本・演出:永島直樹。出演/孫文の女馨の父親役。 |
2006 | グスタフ劇団『アンネ・その軌跡』脚本:美南富貴子・演出:抱晴彦。 出演/オランダ商人役。 |
2006 | グスタフ劇団『さようならを言わないで!』脚本:美南富貴子 演出:抱晴彦。出演/孤独な老人山本保役。 |
2007 | 西木正明プロデュースⅢ・遊人塾・劇舎・プレイガールオフィス 『オーロラ宮異聞』脚本・演出:永島直樹。出演/関羽役。 |
2008 | 西木正明プロデュースⅣ・遊人塾・劇舎・プレイガールオフィス 『ルーズベルトの刺客』脚本・演出:永島直樹。 出演/ユニバーサル映画副社長役。 |
2009 | アートフル夢祭り:金子みすず音楽詩劇『みんなちがってみんないい!』 脚本・演出:永島直樹。出演/男1。 |
2009 | キンダースペース・モノドラマワークショップ:太宰治原作『黄金風景』 演出構成:原田一樹。出演/太宰治役。 |
映画出演歴
2006 | ショートフィルム『紙風船』出演/主役:桐子の夫直之役。 |
2008 | 伊参スタジオ映画祭グランプリ受賞作『金糸雀は唄を忘れた』 出演/主役:鴇田役。 |
2009 | 山田洋次監督:映画『おとうと』出演:老人役。 |
コマーシャル出演
モデルクラブ「ピノキオプロモーション」所属(1998)
■CF : 養命酒・ローランド・コカコーラ・青汁。
■新聞広告 : パナソニック・住友林業。
■雑誌広告 : グリコ。
■パンフレット : 松下電工。
学術発表・雑誌掲載論文・構想書
『天・地・人』:東京大学京大学工学建築学科卒業制作
『情報都市論』:東京大学数物系大学院建築学専攻修士論文
『クリエイティブチームのシステムについて』:パンデコン1965-74
『段階論』:主張―アイデア―研究―根性―作品
『ヒト街新生十法』:商業建築年鑑(1971)
『交歓・界隈化の手法』:現代建築手法百科(1972)
『遊余建築論』:"D&I"(1971)
『虚材論』:商店建築特別号"新素材"(1971)
『天地人アイデア開発法』:建築ジャーナル特集号
『デザイン般若心経』:建築ジャーナル特集号
『花と緑の手造り村構想』:群馬県倉渕村クラインガルテン村おこし
『縄文真脇遺跡古代ロマン再生事業』:石川県能都町活性化事業
『居住文化論』:大妻女子大学ライフデザイン学科
『都市農芸環境文化論』:神奈川県農業活性塾
言葉・教条・キーワード・題目・呪文・法則
野・従・理・来・天
ヤ・ジュウ・リ・ライ・テン
1年にして野(や) 2年にして従(じゅう) 3年にして理(り) 4年にして来 (らい)
…… 天(てん)成るか!?
人・時・場・金
ジン・ジ・バ・キン
プロデューサ必須4訓
孤独の鳥:5則
一つ:高く飛ぶ 二つ:群れで飛ばない 三つ:鋭い嘴(くちばし)をもつ
四つ:決まった色はもたない 五つ:優しく歌う
デザイン般若心経:五うん
色即是空・空即是色
眼に見えないものから、眼に見えるかたちをつくる。
私たちが建物を設計したり、企画をたてたり、
構想案を作成するということは、どういうことか?
私たちが、これまでにないものを創るということは、
どういうことか?
建築物は、たしかに眼の前に存在し、その姿
かたちをはっきりと表わしている。
手で触れれば、その存在はより確かになる。私たちは、ここに、すでに存在するものについては、
そこに在ることは当然であり、その存在をあらためて疑うことはしない。
そのものが、そこに在ることを考えてみたい。そのものが、そのもの独自のかたちをしていることの
意味をよく考えてみたい。そのもの独自のかたちが表われてきた過程のプロセスを考えてみると、
そこにある種のかたちの出現の必然性を感ずる。
眼にみえるかたちをつくるということは、まだかたちがこの世界に表われてこない誕生以前の段階で、
すでに今ここに在るかたちを感じとり、その存在を予言し、明示することである。見えないものを、
見える世界に導きだすこと、それが創造者のなすべき役割である。
他の多くの人々が、誰もがその存在を信じないとき、一人、その存在を識り、それを暗やみの中から、
光の中へつれだすことである。
「なべての眠り醒めぬ時、真暗の中に人知れず、鳴く鶏を誰ぞ知る。」(旧制第一高等学校寮歌より)
その存在を感じとることと、そのあるべき姿をイメージすること。それを導きだす、ないし創りだす
明確な方策と、なしとげる確固たる意志をもつこと。ここに、その存在を定義し、言葉で皆に識らしめる。
これらのことを成すことが、創造するということである。このことが、私たち創造者のはたすべき役割、
成すべき仕事だと思う。
私は、ときどき、般若心経を詠えています。ものを創るときにも、詠えることにしています。
次に、私が以前発表した、企画アイデア開発講座「[1]企画デザインの経典デザイン般若心経」
(建築知識1987.11号)を抜すいします。
貴方のものづくりのヒントになり、お役に立つものと思います。
いきなり経文の一節をあげて、これが企画
アイデア開発と、どんな関係があるのだと
思われるかもしれないが、しばらくは耳を傾けて
欲しい。これは般若心経の一節であり、276字の
きわめて短い経文であるが、そこに深い
意味合いと教えが秘められていて、古来から
人々に親しまれてきたお経である。短いお経で
あるが、この解釈・解説については、様々な方々が考え方を述べておられる。書店に行けば、この
般若心経について導かれた本がじつに多いのに気づかれることと思う。
識者の方々の経文の解釈はさておき、ここでは私なりに「デザイン般若心経」として、
お話を進めたいと思う。
「色不異空」(しき・ふ・い・くう) 「空不異色」(くう・ふ・い・しき)
「色」は「空」に異ならず、「空」は「色」に異ならない。「色」とは、存在するもの・実体のあるもの・具体的な
形のあるものを意味する。「空」とは、存在しないもの・実体のないもの・具体的な形を持たないものを
意味する。
とすると、「色不異空」は、実体のあるものは、「空」とは異ならない。実体のあるものは、すなわち
実体のない「空」であるということになり、これだと分かったようで分からない。何のことかさっぱり
分からなくなる。
そこで鍵になるのは、「空」という言葉であり、その意味するところのものの捉え方にかかってくる。
「空」の意味するところのものを、何もない空っぼだというのではなくて、確かに実体はなく、眼で
見ることができず、かたちとしては存在していないが、その実体、存在、かたちが現われるもととなる
根源的なところには、厳として存在する何物かであると定義づける。
現実のかたちになり、我々の前に姿を現わす前の段階に、眼では見えないがすでに在り、現われて
くる存在そのものを支配、規定、運命づけるものを「空」と呼ぶ。
「空不異色」。「空」は「色」に異ならない。かたちのない「空」は、実はかたちのある「色」に
異ならないのだ。眼では見ることはできず、五感で感ずることもできないが、根元的なところに厳として
在る何物か、即ち「空」が我々の前に姿を現わしている「色」と異ならないのだ、という意味になる。
「色即是空」(しき・そく・ぜ・くう) 「空即是色」(くう・そく・ぜ・しき)
かたちのある「色」は、即ち是かたちのない「空」であり、かたちのない「空」は、即ち是かたちのある
「色」である。「色不異空・空不異色」と同じ意味合いのことを、ふたたび強く肯定的に述べている。
「受想行識」(じゅ・そう・ぎょう・しき) 「亦復如是」(やく・ぶ・にょ・ぜ)
受(感覚)・想(想念)・行(意志)・識(知識)も、また是のごときである。
苦楽を感受する感覚も、赤を赤、青を青と了解する想念(イメージ)も、行動につながる意志も、様々な
ことを知る認識や知識も、また「色」の「空」に対する関係と同様である。これら感覚・想念・意志・知識も、
すべてが根元的な「空」から現われてくるものである。「色」を人間の肉体とすると「受想行識」は、人間の
感覚的な、知覚的な心の動きを指すことになる。人間の身体もまた、精神的な作用もすべて、根元的な
「空」からの現われであるということになる。
ここで「色」を「人間の肉体」のかわりに、仮りに「建築」なり「都市」なり「企業」なりに置き換えでみる。
そうすると、ここに、かたちを現わしている「建築」も「都市」も「企業」も根元的な「空」の現われである、
ということになる。
建築空間的な存在を「色」とするならば、建築についてもそれぞれ「受」「想」「行」「識」なるものが
考えられる。そして、その建築の実体存在としての「色」と、感覚・精神作用としての「受想行職」も、
「空」なる根元的なものの現われであるということになる。
建築なり、事業なり、プロジェクトが、眼で分かることができ、現実にかたちとして存在するにいたる
背後には、やはり根元的なところに、それを現実的なかたちとしてもたらした「空」の意志の存在が
感じられる。
我々の眼で見たり触れたりすることのできる姿・形は、我々の感ずることのできない根元的な
ところで、すでにあるべきかたちが決められており、それと一体につながっている。とすると私達は、
ここに今、現われ出てきた姿かたちだけを問題とするのではなく、その根元的な所に在る何ものか、
すなわち「空」を良く識らなければならない。
色(しき) | 実体 | 〔かたち〕 | 具体的な現物でなす 固有の形態 はじめてのかたちをつくる |
受(じゅ) | 感受 | 〔情感〕 | 感覚を研ぎすます 予兆を感ずる 的確な情報を得る |
想(そう) | 想念 | 〔イメージ〕 | 想像力をたくましくする 独自の発想法をもつ 魅力的に表現する |
行(ぎょう) | 意志 | 〔ポリシー〕 | 方向性を明確にする 自己の意志を貫く 戦略を打ち出す |
識(しき) | 知識 | 〔コンセプト〕 | 言葉で理づめに表現する 関係式を明らかにする 題目を唱和する |
般若心経では「色」と「受」「想」「行」「識」を万物の五つのもとであるとして、五蘊(ごうん)といっている。
「五蘊皆空」とは、この五つのもとが、即ち「空」であるということをいっている。
この五つのもとが集まって結びつくと認識が起こり、ものが存在することになる。「色受想行識」が
集まらず、結び合わされなければ、何も生まれなかった、存在もなかった、ということになる。
私の「デザイン般若心経」では、このデザインの五蘊、色・受・想・行・識を次のように定義している。
「色」は、実体のあるもの、形のあるものを意味し、〈かたち〉と定義している。〈かたち〉とは「建築」「都市」
「企業」など、眼に見ることのできるものを指している。
「受」は,自分が感受できるもので、〈情報〉と定義している。様々な情報も、自分で感受できて初めて
自分の生きた情報になる。密かな兆候もキャッチできるよう、アンチナを張り巡らし、感覚を税敏にして
おかなければならない。生きた的確な情報を素早く得るよう、日頃から情報収集ネットワークの整備を
心掛ける。「想」は、心理学でいう表象で、頭のなかに生まれる想念を指すが、〈イメージ〉と定義して
いる。想像力をたくましくして、豊富なイメージをつくる。そのために、自分で独自の発想法を待っている
ことが必要である。イメージは、魅力的に表現しなければならない。
「行」とは、これら色・受・想を結び表わすかなり意志力を指すが、「デザイン般若心経」では、
〈ポリシー〉と定義した。自分の意志を貫きながら、方向性を明確に打ち出す。また、ポリシーを貫く
ための戦略を持ち、それを打ち出すことが必要となる。
「識」とは、受・想・行・識とが結びついた認識を指すが、私はこれを〈コンセプト〉と定義した。自分が
識りえた〈情報〉をもとに、豊富な「イメージ」を作る。「ポリシー」を貫きながら、これらをまとめあげ、
言葉で明確に表現したものを「コンセプト」と呼ぶ。
企画およびデザイン、制作の諸作業においても、この「コンセプト」づくりは大変重要な位置を
占めている。
色(かたち)と識(コンセプト)と、どちらが大切であるというものではない。識と色は表裏一体のもので
あり、〈コンセプト〉がはっきり決まれば、〈かたち〉はおのずとなるものであると思っている。
ただ、これらの根底には、やはり「空」が存在するということは、常に心に留めておかなければ
ならない。
この識(コンセプト)をはっきりとらえるには、「受」「想」「行」「識」を各々きっちりおさえる必要がある。
○受 研ぎ澄まされた感受性。情報収集力。
○想 独自の発想法。イメージ表現力。
○行 自己を貫く意志力。プロデュース実行力。
これらの受想行が万全に働いて、識(コンセプト)は成り立つ。また、この識(コンセプト)によって、
色(かたち)は、現実の世の中に姿を現わしてくる。
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