ご挨拶
作品集
環境共生建築グループ
メッセージ -近澤可也-
『花と緑の手づくり村構想』(1988)は、倉渕村の自然を守り、生かす、外部資本等に頼らない自前の村づくりである。村営でクラインガルテン(市民農園)、ふれあい館(相間川温泉館)、貸しログハウス等を計画した。農山村のたたずまい、日常生活、文化、伝統がそのまま観光資源でもある。自然にかえり、土に親しみ、家族とともに田園で過ごす農村ツーリズムの誕生である。日本の美しい自然景観、農村風景は、地球上に残された数少ない宝である。これらを大切に守り、後世に残したい。
■ 食と農は、金(かね)でなく命である。
■ 農業を単なる1次産業として、経済的にデータ化・数値化しない。食生活、健康、福祉、文化、教育、住環境、環境保全……等に果たす役割を、コストに置換評価する。
■ 今、バブル崩壊、不況、企業倒産、財政赤字、不良債権処理など、お金中心の経済危機が騒がれているが、食料の大半を輸入にたよっている我が国は、何らかの世界情勢の変化で、食料輸出国が輸出をストップすれば、たちまち食料危機におちいる。
■ 食料危機のときの対策を、今のうちから総合的・複眼的・戦略的な発想で、真剣にたてておくべきである。
■ 農地の荒廃をとめる手だてを考える。一時的に公園、グランド、野原、クラインガルテン、ビオトープ用地等として利用し、食料危機がきたときは、すぐに農地に戻せるように『食と農の日本国土基本計画』をつくる。
■ 似非(えせ)グローバリズムの波に呑み込まれることなく、日本固有の風土、文化、歴史、伝統を受けつぎ、叡智と技術で日本の自然と国土をまもり次の世代に伝える。
一般社団法人 ふるさと未来研究所設立
2009年10月:中野区新井パンデコンデザインセンター4Fに設立。近澤可也が代表理事に選任された。
目的:地域の活性化及び自然環境の保護と改善をテーマに、次世代が希望を持つことができる
社会を研究し、その実現に寄与する。事業:自然保護・環境保全・田園回帰・ふるさと再生・
地域活性化の構想・企画・提案。○市民と農業を結ぶ都市農村交流・市民農園・都市農芸の組織・
人づくり・運動支援。○心身が健康になる健康住宅・省エネエコ住宅・環境共生住宅・
コレクティブハウスの企画・設計。(活動):上記各号に関する○講座・交流会・ワークショップ・イベントの
開催。○映画・演劇・音楽会等の企画・制作・公演。○理念を高く掲げ、現実に出来ることを楽しみながら
実行します。
一般社団法人ふるさと未来研究所定款
第1章 総則
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<名称>
第1条 この法人は、一般社団法人ふるさと未来研究所と称する。
<事務所>
第2条 この法人は、主たる事務所を東京都中野区に置く。
<目的>
第3条 この法人は、地域の活性化及び自然環境の保護と改善をテーマに、世代間の連携と
コミュニケーションの促進を図り、次世代が希望を持つことができる会社を研究し、
その実現に寄与する。上記の目的達成のための多角的・複眼的な研究と実践を
おこなう非営利かつ独立の研究機関を維持することを目的とする。
<事業>
第4条 この法人は、前条の目的を達成するため、次の事業を行う。
1. 田園回帰、ふるさと再生、地域活性化の情報交流・運動支援・企画・提案。
2. 市民と農業を結ぶ都市農芸、市民農園、趣味の園芸、屋上緑化の相談・啓蒙・
実践・情報交流・運動支援。
3. 自然保護、環境保全の研究・啓蒙・実践・活動・組織・人づくり。
4. 自然環境を活かしたふるさと活性化の町づくりの構想・企画。
5. 心身が健康になる健康住宅、省エネエコ住宅、環境共生住宅、
コレクティブハウスの企画・設計・提案。
6. 農業・環境・エネルギーに関する先端技術・ノウハウ・特許の情報提供及び
事業提携の斡旋。
7. 地方の伝統文化の保存と振興。埋もれた伝承催事・祭の復活・伝統芸能・
伝統工芸等の復活・保存・紹介・運動支援。
8. 廃校等を利用し、展示場・スタジオ・劇場等をつくることによる
地方文化の発信の場を提供。
9. 人間形成、就職・転職、新規事業開設等に関する相談・助言・指導及び
セミナーの開催。
10. 独立起業家をめざす若者に対する支援事業。
11. 経営者・管理者・営業マン・一般社員向けの研修会、セミナーの開催。
12. ふるさと未来研究所の地方拠点及び海外拠点を構築整備することによる
上記事業の啓蒙・促進。
13. インターネットを利用しふるさと未来研究所の行う目的及び事業についての
啓蒙・促進。
14. 上記各号に関する、講座・研究会・交流会・ワークショップ・イベント等の
企画、開催。
15. 上記各号に関する機関紙・雑誌・出版物・DVD・情報教材等の企画・発行・販売。
16. 上記各号に関する映画・演劇・音楽会等の芸術作品の企画・制作・公演。
17. 上記各号に附帯する一切の事業。
下のボタンをクリックしていただきますと、ふるさと未来研究所の考え、プロジェクトが集約された、
「ふるさと未来研究所17条憲法」をPDF形式でご覧になれます。ぜひご覧下さい。
理事のご紹介
理事 | (就任順):岩重恭子(建築家) 川口正夫(発明家) 宋初末(社会教育家) 近澤進(システム設計家) 稲岡邦弥(音楽プロデューサ) 永島直樹(劇作家・演出家) 瀬戸良幸(建設会社社長) 高谷秀司(音楽家・ギタリスト) 黒川敦彦(起業支援コンサルタント) 大津信弘(ネットワークエンジニア) |
監事 | 香村正雄(公認会計士) |
代表理事 | 近澤可也(建築家) |
永島直樹
永島直樹(ながしま なおき)
昭和21年1月14日生
一般社団法人 ふるさと未来研究所 理事
脚本・演出家
■略歴
昭和42年10月 | 劇団青俳演出部・入団 |
昭和43年3月 | 日本大学芸術学部卒業 |
昭和44年4月 | クルチコフスキー作『自由の最初の日』にて演出デビュー。 |
昭和45年以降 | フリーとなり、東映での助監督経験を経て、存在劇場、第一次劇舎、 第二次劇舎などを主宰、脚本・演出に携わる。客演出も多い。 現在、遊人塾主宰。 日本演劇学会会員。 日本ペンクラブ会員。 |
昭和60年12月 | 株式会社オフィス アニマ設立。代表取締役に就任。 |
平成7年12月 | 商法改正にともない、有限会社オフィス アニマに改称。 |
この間、東京演劇学院、日本絵本専門学院、洗足学院短期大学英文科講師などの講師を歴任。
現在、埼玉県立芸術総合高校舞台芸術科、アミューズメントメディア総合学院ノベルス科講師として
若手作家を数多く世に送り出している。
■主な演出作品
昭和44年 | 『自由の最初の日』クルチコフスキー作 劇団青俳公演 |
昭和46年 | 『セイヴド』(E・ボンド作) 『ひゅうらひゃあら』(岡部耕大作)空間演技公演 『ロング グッドバイ』(テネシー・ウィリアムズ作) 新演劇人クラブ・マールイ若手公演 |
昭和47年 | 『管理人』『ダム・ウェイター』(H・ピンター作)存在劇場公演 |
昭和48年~55年 | 児童劇団どんがら座にて、作演出作品多数。 |
昭和50年~54年 | 『マッチ売りの少女』『窓を開ければ港が見える』 (別役 実作)第一次劇舎公演 |
昭和55年~60年 | 『夢見る少女』『わが友…』『旅する旅行団』『自家製・ゴドーを待ちながら』 オリジナル作品の演出。第二次劇舎公演 |
平成3年 | 『鼠捕りの島』(坂手洋二作)ホテルセンチュリーハイアット・ 燐光群タイアップ公演 |
平成5年 | 『クレージーフルーツ』(品川能生作)東京ギンガ堂公演 |
平成6年 | 『カズキ~ここが私の地球』(品川能生作)東京ギンガ堂公演・出演 |
平成7年 | 『ヒューマンダイナモ』(品川能生作)東京ギンガ堂公演・出演 |
平成8年 | 『マリアの首』(田中千禾夫作)現代制作社公演・出演 |
平成9年~14年 | 洗足学園短期大学英文科にて、『ロミオとジュリエット』 『若草物語』『オー・ヘンリー 人間模様』などを、指導、脚色、演出。 |
平成11年 | 遊人塾 結成 |
平成12年 | 第一回公演『心優しき人よ・1』池袋演劇祭参加 |
平成13年 | 第二回公演『心優しき人よ・2 テロルの秋』池袋演劇祭参加 |
平成15年 | 第三回公演『心優しき人よ・3 盟・三親切』於・東京芸術劇場 第四回公演『アイアイの眼』 (原作・西木正明 脚本演出・永島直樹)於・シアターサンモール |
平成16年 | 第五回公演『私の青空 マイ ブルー ヘブン』於・東京芸術劇場 |
平成17年 | 第六回公演『あ、のんきだね』(於・シアターサンモール) 第七回公演『孫文の女』(原作・西木正明 脚本演出・永島直樹) シアターサンモール・プロデュース公演『老いぬさまでいよう』(作・演出) |
平成18年 | 第八回公演『オーロラ宮異聞』(原作・西木正明 脚本演出・永島直樹) |
平成20年 | 第九回公演『ルーズベルトの刺客』(原作・西木正明 脚本演出・永島直樹) |
稲岡邦弥
稲岡邦弥(いなおか くにや)
1943年4月12日生
一般社団法人 ふるさと未来研究所 理事
音楽プロデューサー
■略歴
1943年4月12日、兵庫県伊丹市生まれ。
私立海城高校を経て、1967年早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。
5年間のドイツ商社勤務を通じて貿易実務、国際渉外、商取引などのビジネスの基本を修得。
1972年“オーディオ御三家”の一社、トリオ株式会社(現ケンウッド株式会社)音楽事業部に入社、
海外渉外課、洋楽制作部長、制作部長を歴任。入社まもなく独ECMレコードとの独占契約に成功、
キース・ジャレットやチック・コリア、パット・メセニーなどのマーケットの確立を通じて、“音のトリオ”の
イメージアップに貢献した。また、加古隆、富樫雅彦、菊地雅章、渡辺香津美、近藤等則など日本の
ジャズ・ミュージシャンとも内外で活動を共にした。
1983年以降、音楽プロデューサーとして、CDや映画音楽、コンサートの企画制作、マネジメント、
音楽出版など内外で音楽全般の仕事に従事。
2004年12月、ウェブ・マガジン「JazzTokyo」を立ち上げ編集長を務め、現在に至る。
また、ビジネス・コンサルタントとして、再生可能エネルギー(特に、太陽光発電、バイオマス発電)の啓蒙と開発支援に奔走している。
著書『ECMの真実』(河出書房新社) 共著『ジャズCDの名盤』(文春新書)
編著『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)『ECM Catalog』(東京キララ社/河出書房新社)
■抱負
川口正夫氏を通じて近澤可也先生の知遇を得ましたが、近澤先生の年齢を超えた発想、進取の精神、
チャレンジング・スピリット、果敢な行動力、加えて一貫する正義感に感銘を受け、研究所の設立に
参画致しました。
武蔵野と横浜郊外にそれぞれ25年ほど住んでおりますが、自然環境に恵まれ、植生や小鳥の生態を
通じて四季の変化を手に取るように感じています。自然を愛でる一方で、ニューヨークやベルリンなどの
苛烈な環境に身をさらすことも厭いません。
永らくさまざまな音楽の現場に携わってきましたが、とくに、阪神・淡路大震災被災者へのベネフィット
活動(CD制作やフェスティバル、コンサート)、地方の小・中・高校、障害者施設での音楽活動を通じて
音楽の持つ力を信じています。
また、韓国の打楽器グループ「サムルノリ」や作曲家・西村直記らとの活動を通じて廃校ルネサンスに
よる地域の活性化プロジェクトに参画した体験なども研究所の活動に生かしていきたいと
考えております。
■参考ページ
http://www.jazztokyo.org
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309271071
群馬県倉渕村の村おこし -構想から実現まで-
群馬県の西端部、榛名山の西南斜面に、
北軽井沢に抜ける国道406号、利根川の源流の
ひとつ、烏川沿いに、倉渕村という今なお自然が
残り、緑と水と空気のきれいな山村がある。倉渕村も
農業就業人口が減少し、高齢化が進み、後継者も
少なくなる過疎化の状況にあった。
村では、村長を中心に豊かな自然、伝統、
山村文化を守りながら、特色を生かした村づくりを
目指していた。
花と緑の手づくり村構想
近澤可也とパンデコン建築設計研究所は、花と緑の
農芸財団(理事長・長島茂雄当時)から計画の
依頼を受け、村おこし構想に参画し、「花と緑の
手づくり村構想」(1988年)を策定した。「花と緑の
手づくり村構想」は、倉渕村の自然を守り、生かし、
花と緑による村づくりであり、外部資本等に
頼らない、文字通り自分たちの手でつくる自前の
村づくりである。
倉渕村の場合、ヨーロッパにあるクラインガルテン
(市民農園の一種、後述)を、村の遊休農地に
応用して、村おこしを図れないかというアイデアが
あった。研究、討論を経て、
「倉渕村クラインガルテンシンポジウム」(1988年)を
開催した。
相間平カルチャーバレー
利根川の源流、烏川の支流、相間川の支流に相間平という畑、水田、
休耕地などが混在している地区があった。
相間川は相間平より上流は渓谷になっており、耕地、人家はなく、
計画地は行き止まりの袋小路の独立したひとまとまりの地形である。
私自身も倉渕村の自然、相間川の清流、村の
人たちの人間性に魅せられて、ミョウガ畑を譲って
もらい、ログハウスを建て、「妙雅庵」と名づけて、
村での休息、活動の拠点とすることにした。山村の
風景の中にログハウスが点在し、ここで私と同じ
ような仲間たちが遊びと生活とを送ることができる
ようになれば素晴らしいことだと思った。相間平に、
文化の渓谷をつくるという意味で
「相間平カルチャーバレー」と名づけて計画は
スタートした。
クラインガルテンゾーン
まず、この相間平地区を3つの計画ゾーンに分ける。
「クラインガルテンゾーン」(村営)、「クリエータヴィラ
ゾーン」(民活)、「花と緑の農村ゾーン」(農業者)と
それぞれ事業主体、事業目的の異なるゾーンから
なる。「クラインガルテンゾーン」は、村が土地所有者
から農地を買い上げ、整備し、管理運営し、都市
居住者に市民農園として貸し出すクライン
ガルテンを村営で行うゾーンである。
ところで、クラインガルテンとは何か?
クラインガルテンとは、ドイツ語で「小さな庭」という意味で、日本の市民農園に当たるのだが、その歴史、
役割、機能は、日本でよく見かけられる市民農園とはイメージが異なる。ヨーロッパの
クラインガルテンは、都市の周辺にあり、都市住民が仕事の帰りなどにちょっと立ち寄れるくらいの
距離にあるものが多い。
日本型、倉渕型クラインガルテンの場合、
ガルテナー(市民農園を借りる人)は都市住民で
あり、その居住地から離れたところに自分の農園が
あることになる。そうなるとどうしても、宿泊する
場所、食事をする場所が必要となる。1991年、ログ
ハウスのロッジ5棟、管理棟と体験農園25区画が
でき、「倉渕村クラインガルテン」はオープンした。
1992年8月待望のクラブハウスが農水省の
補助金により、「農林漁業体験実習館
"ふれあい館"」として完成した。
>>ふれあい館について詳しくはこちら
村営 クラインガルテンゾーン | 村営 クラインガルテンゾーン2 | 午後のティタイムの準備 | 午後のティタイムの準備2 |
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バーベキューハウス | 村営 貸しロッジ | クラインガルテン 市民農園 | ロッジとガーデン |
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ロッジとパーゴラ | ガーデン | 記念撮影 | ふれあい館 全景 |
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ふれあい館 西側全景 | 幼稚園遠景 | | |
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※画像をクリックすると拡大します。
スタイルのある家 -ラウベ(住居)-
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クラインガルテンの住居をイメージしたもの。「このうえもなく愛しい我家族、住家」
クリエータヴィラゾーン
「クリエータヴィラゾーン」は民活ゾーンで、ここに
建築家、書道家、工芸家、陶芸家、映像関係者
などのクリエーターのヴィラ(別荘)、アトリエを建設
するゾーンである。ここは自然の中に滞在しながら、
ある種の創造活動、休息を楽しもうという人たちの
居住ゾーンである。ここの人たちと村の人たちの
接触、交流が村の刺激になり、新しい芽生え、新しい
力になればそれにこしたことはない。
建築家、書道家、工芸家、陶芸家、映像関係者
たちのクリエーターのヴィラ(別荘)、アトリエの他、
浴室・サウナ室棟、クラブ等も存在する。
また、テニスコートや展示館といったスペースも
既に完成済みだ。
妙雅庵(みょうがあん) 近澤可也・恭子邸 パンデコン倉渕支所 | 妙雅庵2 フィンランドログハウス | 妙雅庵と近澤可也 | 妙雅庵と近澤恭子 |
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クラブ・千むら(ちむら) 東京サウンドプロダクション | 相間川ほとりに建つ 浴室・サウナ室棟 | 玄理庵(げんりあん) 花井由雄邸 | 近澤進邸 |
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スエーデンハウス 結城邸 | 倉渕四宝 花気、碧洋、川澄、情厚 | | |
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花と緑の農園ゾーン
フラワービレッジ倉渕では、花と有機野菜、
ハーブなどを出荷販売している。
リゾート農場として、ハーブ園も設計。
花と緑の手づくり村 | 花と緑の手づくり村2 | 花と緑の手づくり村3 |
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花と緑の手づくり村4 | 花と緑の手づくり村5 | 花と緑の手づくり村6 |
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農村ツーリズムの誕生
ある一日、あるひととき、土に直接触れ清流に足を
ひたし、作物の成長に目をやり、鳥のさえずりを
聞き、陽光のもとで過ごすということは、それだけで
楽しく、充実していて、意義のあることだろう。
「倉渕村相間平カルチャーバレー」は、従来の
観光地、または別荘地とは異なった、自然の中の
農村滞在型の新しい観光のあり方を提案している。
農村のたたずまい、日常生活、文化、伝統が
そのまま観光資源でもある。
自然にひたり、土に親しみ、家族と共に田園で
過ごす、日本における農村ツーリズムの
誕生である。
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